「なぜ台湾人は歴史あるものを活かすのが上手いのか?」という話題があがったとき、反応する人があまりに多く、
「なぜ日本人は歴史あるものを活かせないのか?」の裏返しなんだなと思った。
地上戦の憂き目に遭った沖縄にはそもそも歴史ある建物が残っていない……と思っていたころ、沖縄の味のある建築物を記録する本の原稿を半分ほど書かせてもらうことになった。
津嘉山酒造所というと戦前から残る沖縄最大級の木造建築ということで話がまとめられることが多いけれど、
キャラクターの非常に濃い杜氏がたったひとりでで泡盛をつくっているところに“おもしろ味”があった。
彼は言った。
「沖縄戦で沖縄はすべて焼き尽くされたってよく言うんだけど、あれ言っちゃうと、沖縄って燃えちゃったんだって勉強しなくなる。アメリカは戦う前から勝つことが決まっていました。でも沖縄の気候を考えてみろっていうんですよ。
全部破壊しちゃったら台風のたびに洞窟のなかで会議すんの?どこでもその街を代表するようなでかい建物は、1、2軒残されて、
ことごとくアメリカに使われた。ここは北部侵攻戦の司令部でもあったんだけど、戦後2年間、北部を管理する基地として、泡盛工場はパン工場として使われてました。建物はわざと残されたんです」
沖縄第一号のホテル、
沖縄で唯一メガネのレンズを製造していた店、
13軒もの「さしみ屋」があった集落、
やがて百歳になるコンクリート造の旧庁舎、
理容館、
赤瓦工場、
コンクリートブロック工場を訪ねた。
沖縄の建築史を学ぶことは戦争の歴史を学ぶことになり、
「戦争と占領によって強制的に出会わされた」外人住宅をよく観察し、
型が100種類はある花ブロックを探しまわり、
セメント瓦の工場マークを数え、
戦後の制度で生まれたすーじぐゎ(路地)を歩き、
直書き看板に街の記憶を見て、
沖縄の鉄門扉グループに入り、
「共同売店」ファンクラブ代表にコンタクトをとった。
そうして『沖縄島建築』はできた(12/4発売)。
撮影は、外人住宅や沖縄を撮り続けてきた岡本尚文さん、
監修と建築解説は、“歩く建築事典”のような若手建築家・普久原朝充さん。
出版社からタイトル案が出てきたとき、島野菜みたいだなと思った。
「いいのかな」は「いいな」にすぐ変わる。
独特の苦みやぬめり、香り、色など、強烈な個性を放つ島野菜。
花ブロックや赤瓦、セメント瓦、外人住宅、鉄門扉……が重なった。
沖縄の建物と暮らしの記録と記憶。
街のなかにかろうじて残された歴史の断片のような建物は、わたしたちが見えなくなってしまっているものを呼び覚ましてくれる。